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佐々成政のさらさら越え
富山城雪解清水
富山城雪解清水
賤ヶ岳の戦(天正11年)以後、織田信長の後継者として天下の情勢は羽柴秀吉を中心に動こうとしていた。天正12年(1584)小牧・長久手の戦が秀吉と徳川家康・織田信雄との間で起こると、その対立が越中を領国としていた佐々成政にも影響を与えた。成政は挙兵し、秀吉方の前田利家の末森城を攻めたが敗退。その後、家康・信雄方が秀吉と和睦したため、成政は越中で孤立することとなった。家康に対し秀吉との戦の継続を促すため佐々成政は、厳冬期の立山越えを行い、浜松の家康の下を訪ねたとされる。(『さらさら越え』)
 佐々成政のザラ峠越えについては、真偽諸説あるが中世より芦峅から山越えで信州へ抜ける道があったとされ、成政もその道を使い越山したものと推察されている。
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