明治維新に先駆けての討幕運動が、宝暦8年(1758)と明和4年(1767)の事件で、富山藩では5代藩主利幸と2代正甫の第6子利寛(民部)の名が記載されている。この文書は、王政復古の中心になった竹内式部・山縣大弐・藤井右門らの事跡を明らかにしようとしたものである。また、「越中富山前田侯二代松平大蔵大輔正甫」として、富山反魂丹の由来を記載して、藤井右門の関わりの伝承記事を載せる。編者の福羽美静は、元津和野藩士で皇学を修め維新に働き子爵、元老院議官となり、明治40年に没した。奥付に「江戸浅草橋場日蓮宗妙高寺々中 岡本熊蔵取扱」と記す。 前田文書−5